久茂地旗頭とともに30年

翁長 政俊

2011年10月21日 12:53

那覇市の三大祭りの一つである、那覇まつりは市制90周年を記して今年から「那覇大綱挽まつり」と改められ毎年10月の体育の日を含む土・日・月の3日間に奥武山公園を主会場に民俗芸能パレード、旗頭行列及び、大綱挽きが開催された。

メーンイベントの「那覇大綱挽」は20数万人の参加者を集め賑わい、大成功に終了した。

  私は、那覇大綱挽、特に旗頭行列に参加して30年を越える。現在、久茂地盛鶴保存会(くもじむいづる
ほぞんかい)の顧問を仰せつかっているが、青年部のお目付役の立場でもある。



◎那覇大綱挽の由来

 琉球王朝時代に遡る。国王慶事や中国から来島される冊封使の歓待のために実施されてきた。
 発祥は中国から来琉された久米三十六姓が持ち込み伝承し国の慶事や五穀豊穣を祈願した。
 現在では「平和安寧、家運、子孫繁栄、無病息災、商売繁盛」等の所願が叶うようの思いが込められている。
 1935年の開催を最後に途絶えていたが、1971年市制50周年記念事業として復活し現在に至っている。

◎久茂地旗頭盛鶴について 

 旗頭は東七町 西七町 全14町の旗頭からなり、久茂地は東に属する。久茂地は鶴に松竹梅を配し旗字には與鳳翔(よほうしょう)を表し意味は鶴に鳳の羽ばたきを与え、久茂地が鳳とともにかける勢いを表している。高さ10メートル 重さ45キロ
旗頭は久茂地町のシンボルであり、誇りであり、また地域の守り神である。

















パート2へ続く・・・

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